大判例

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名古屋高等裁判所 昭和41年(う)688号 判決 1967年3月23日

本店所在地

名古屋市西区又穂町六丁目八八九番地

株式会社 長谷川綿行

右代表者代表取締役

長谷川鈞

本籍並びに住所

名古屋市西区又穂町六丁目八番地

会社員

長谷川鈞

大正一五年一一月二五日生

右の被告会社および被告人に対する法人税法違反被告事件につき、名古屋地方裁判所が昭和四一年一〇月一三日宣告した各有罪判決に対し、右被告会社代表者および被告人本人からそれぞれ適法な控訴の申立があつたので、当裁判所は、検察官立岡英夫出席のうえ、審理をして、次のとおり判決する。

主文

被告株式会社長谷川綿行の本件控訴を棄却する。

原判決中、被告人長谷川鈞に関する部分を破棄する。

被告人長谷川鈞を懲役一〇月および罰金一〇〇万円に処する。

被告人長谷川鈞において、右罰金を完納することができないときは、金五、〇〇〇円を一日に換算した期間、同被告人を労役場に留置する。

被告人長谷川鈞に対し、本裁判確定の日から三年間、右懲役刑の執行を猶予する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人佐治良三、同太田耕治、同後藤昭樹の三名共同作成名義の控訴趣意書に記載されているとおりであるから、ここにこれを引用する。

控訴趣意第一点(憲法違反の論旨)について。

所論は要するに、被告株式会社長谷川綿行(以下被告会社と略称する)は原判示の法人税逋脱につき、所轄税務署長から既に各種加算税を賦課されたに拘らず、原判決が被告会社に対し、右法人税逋脱につき重ねて刑罰を課したのは、憲法第三九条に違反する、というに帰着する。

しかしながら、被告会社に対し所論の原判示同一行為について加算税等のほか刑罰を科しても憲法第三九条に違反するものでないと解すべきことは最高裁判所判決(最高裁判所昭和三六年五月二日および同年七月六日各宣告の判決、最高裁判所刑事判例集第一五巻五号七四五頁以下および同判例集第一五巻七号一〇五四頁参照)、の明示するところと同一である。所論は畢竟独自の見解に立つて原判決を非難するものであつて、到底採用できない。論旨は理由がない。

控訴趣意第二点(量刑不当の論旨)について。

所論は要するに、被告人らに対する原審の各量刑がそれぞれ重過ぎて不当である、というのである。

よつて所論指摘の諸事情を考慮し、記録に現れた諸般の情状を斟酌すると、被告会社に対する原審の科刑は相当であるけれども、被告人長谷川鈞に対する原審の量刑は、いささか重過ぎて不当であると認められるから、論旨は理由があり、原判決中被告人長谷川鈞に関する部分は破棄を免れない。

そこで被告会社の本件控訴については、刑事訴訟法第三九六条に則り、これを棄却し、被告人長谷川鈞の本件控訴については、同法第三九七条第一項第三八一条により原判決中同被告人に関する部分を破棄したうえ、同法第四〇〇条但書に従い、当裁判所において、更に判決する。

被告人長谷川鈞につき、原判決が適法に確定した罪となるべき事実に法律を適用すると、同被告人の原判示第一、第二の各所為はそれぞれ昭和四〇年法律第三四号法人税法附則第一九条旧法人税法第四八条第一項第二一条第一項に該当するので、いずれも所定刑中懲役および罰金を併科することとし、以上の各罪は刑法第四五条前段の併合罪であるから、懲役刑については同法第四七条第一〇条により犯情の重いと認める原判示第一の罪の懲役刑に併合罪の加重をした刑期範囲内で、また罰金刑については、同法第四八条第二項により罰金の合算額の範囲内で被告人長谷川鈞を懲役一〇月および罰金一〇〇万円に処し、同被告人が右罰金を完納することができないときは、刑法第一八条に則り、金五、〇〇〇円を一日に換算した期間、同被告人を労役場に留意することとし、情状懲役刑の執行を猶予するのを相当と認め、同法第二五条第一項を適用して、本裁判確定の日から三年間、右懲役刑の執行を猶予することとする。

以上の理由により、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 坂本収二 裁判官 藤本忠雄 裁判官 三浦伊佐雄)

控訴趣意書

法人税法違反

被告人 株式会社 長谷川綿行

外一名

右両者に対する頭書被告事件の控訴の趣意は、左記のとおりである。

昭和四二年一月二六日

弁護人 佐治良三

同 太田耕治

同 後藤昭樹

名古屋高等裁判所

刑事第四部 御中

第一点 原判決には、憲法に違反し、又は憲法の解釈を誤つた違法がある。

一、被告人株式会社長谷川綿行(以下被告会社と略す)の法人税及び各種加算税の納税について

被告会社は、昭和三八年二月二八日及び同三九年二月二九日に、所轄名古屋西税務署長に対し、それぞれ昭和三七年及び三八年の各事業年度における法人税法所定の確定申告書を提出し、右税務署長は、昭和四一年二月二一日、右各確定申告に対する更正通知をなし、国税通則法の規定により、過少申告加算税及び重加算税を賦課した。被告会社は、おそくとも昭和四一年二月二一日迄に、右更正にかかる法人税及び各種加算税を完納したが、右各加算税は、昭和三七年の事業年度については、各々七万七、四五〇円(過少申告加算税)及び二五〇万一、一〇〇円(重加算税)、同三八年の事業年度については、各々一万三、四〇〇円(過少申告加算税)及び二一九万九、〇〇〇円(重加算税)である。而して被告会社は、前記各確定申告にかかる法人税法違反被告事件につき、昭和四一年二月一四日公訴を提起され、同年一〇月一三日、原審において、有罪判決が言渡された。以上は、本件一件記録により、明らかに認められるところである。

二、被告会社が、所轄税務署長より各種加算税を賦課された後に、更に同一逋脱事実につき、被告らに刑罰を課すことは、憲法第三九条に違反して許されない。

(一) 加算税(重加算税も含む)の性質

国税通則法の加算税(改正前の法人税法による追徴税、或いは加算税)は、法人税とされていても、その実質は罰金と同一である。

右については、加算税は、法人税におけると同じように、単に法人の所得に対して課せられる税金として所得税そのものであつて、行政的過料や刑事的刑罰とは異なるとなし、或は、加算税は、租税の形式で課せられた行政上の秩序罰すなわち過料的制裁であるが、反社会的行為に対する刑罰である罰金とは、その性質を異にするとする見解もある。しかしながら、法人税が、法人の各事業年度の所得の金額を課税標準とし(現行法人税法第二一条)、右金額に、同法第六六条に規定する一定税率を乗じて、一律に算出、賦課され、もつて、国家活動に必要な経費を調達するものであるのに対して、過少申告加算税は、過少申告があつた場合のみに、その修正申告又は更正に基づく金額に対し、税額に百分の五を剰じて計算した金額に相当する金額(国税通則法第六五条)を、重加算税は、過少申告の場合に、納税者が、課税標準等、又は税額等の計算の基礎となる事実を隠ぺいし、又は仮装して納税申告書を提出した場合にのみ、基礎となるべき税額に百分の三〇の割合を乗じて計算した金額(同法第六八条)を、それぞれ賦課するものであり、従つてこれが、納税申告につき、法令違反をした特定の納税者に対して、その法令違反の行為そのものを原因として賦課され、もつて違反者に制裁を加えるとともに、適正納税の実をあげる目的とするものであることはまことに明らかであつてその目的、性質において、法人の所得そのものを課税標準として、納税者における法令違反の事実の有無に拘らず、賦課される法人税とは極めて異なり、これをもつて法人税そのものと解することには到底賛成できない。さらに、過料が、過失により行政の秩序を乱した場合に課せられる、比較的軽微な財産的制裁であるのに対して、加算税は右のように基礎となるべき税額の多少によつて、極めて巨額に上り得るのであり、それは、時としては、罰金より重い制裁である。

一般感情から言つても、行政法規は、それが社会生活において、当然遵守すべきことが普く世間の常識となるに至れば、その違反に対する批難は、一般の刑事犯と少しもかわりないものであつて、形式上租税として賦課される加算税も、実質上罰金と何らかわりのないものと受け取られるのである(重加算税において、その実質が罰金であることは、特に明らかである)。右のように、加算税は、納税者の特定の不正行為に対する制裁であつて、その実質は罰金とかわりなく、これをもつて単に行政上の秩序罰たる過料的制裁とする見解にも到底賛成しがたいのである(ちなみに、右のような刑罰的制裁か、行政庁により賦課せられるとしても、その処分が、最終的に司法機関による判断を受けうるのであれば、憲法上、さしつかえないところであり、国税通則法の制定にあたり、従来、従前の法人税法第四三条の二が、事実を隠ぺい又は仮装したことに基づく税額の分について、百分の五〇の税率で重加算税を課する旨規定していたところ、右加算税が、「実質的には刑罰的色彩があるとみられ、罰則との関係上、二重処罰の疑い」があるのに鑑み、その課税率が百分の三〇に引下げられた(税制調査会の、国税通則法の制定に関する答申第八)ことよりみても、その性質が刑罰的制裁と考えられていることが明らかである。もつとも、その課税率は、依然として高率であり、右改正によつて、重加算税の刑罰的性質が消滅するといえないことは明らかである)。

(二) 憲法第三九条の法意

憲法第三九条後段にいう「刑事上の責任」とは、形式的に刑事法の規定により刑事訴訟手続によつて課せられた責任にかぎらず、実質的に刑罰たる制裁であるならば、その制裁が、いかなる法律に基づいて、いかなる形式によつて課せられたものであるかを問わないで、すべてこれを含むものとしなければ、同条の趣旨は全うされないのである。けだし、同条は右「刑事上の責任」に対して、何等の制限を附していないのみならず、同条が、国家制裁権の二重行使から国民を保護するための規定であるからである。

過料と刑罰の併料さえ、本条の許さないところと考えられる有力な見解が存すること(田中二郎行政法総論、法律学全集四二二頁)からみても、本条が、その性質、態様において過料以上の制裁的機能を持つ加算税と罰金等の刑罰の併科を許さないことは、明らかであるとしなければならないのである。

(三) 最高裁判所の判例について

最高裁判所は、昭和二九年(オ)第二三六号法人税額更正決定取消請求事件、同三三年四月三〇日大法廷判決(民集一二巻六号九三八頁)において、法人税法(同二二年法律第二八号、同二五年法律第七二号による改正前のもの)第四三条の追徴税(現在の加算税)と、罰金とを併科することは、憲法第三九条に違反しない旨判示したことがある。

右判決は、その理由として、従前の法人税法四三条の追徴税は、申告納税の実を挙げるために、本来の租税に附加して租税の形式により賦課せられるものであつて、これを課すことが、申告納税を怠つたものに対し、制裁的意義を有することは否定しえないところであるが、詐欺その他不正の行為により法人税を免れた場合に、その違反行為者および法人に科せられる同法四八条一項及び五一条の罰金とは、その性質を異にするものと解すべきである。すなわち、法四八条一項の逋脱犯に対する刑罰が、脱税者の不正行為の反社会性ないし反道徳性に着目し、これに対する制裁として科せられるものであるに反し、法四三条の追徴税は、これによつて、過少申告、不申告による納税義務違反の発生を防止し、以て納税の実を挙げんとする趣旨に出でた行政上の措置であると解すべきである。法が追徴税を行政機関の行政手続により租税の形式により課すべきものとしたことは追徴税を課せらるべき納税義務違反者の行為を犯罪とし、これに対する刑罰として、これを課する趣旨でないことは明らかである」と述べているのであるが、一読して明らかなように、右判示はまこと形式的である。追徴税(現在の加算税)が制裁的意識を有することを認めながら、何故、罰金とその性質を異にすると解されるのであろうか、もちろん加算税が、制裁的意識の他に、納税義務違反の発生を防止し、以て納税の実を挙げんとする趣旨を有するものであることは、判示の通りであるが、制裁は、必ずその制裁の対象となる行為の防止をはかるための措置であり、従つて加算税に判示のような目的があるとしても、どうしてこれにより、加算税の実質が罰金であることを否定することができるのであろうか、理解に苦しまざるを得ないのである。また判示の言わんとするところが加算税による制裁と罰金による制裁とについて、後者が、脱税者の不正行為の反社会性乃至反道徳性に対するものであるに反し、前者は、右不正行為の納税義務違反性に対するものであるから、両者を併課することは、二重処罰にあたらないという点にあるとするならば、右二つの制裁は、正に同一の行為に対して、二重に課せられることとなり、憲法第三九条の禁止する二重処罰の議を免れ得ないこととなるのであり、判示の結論に反対せざるを得ないのである。結局この両者は、明らかにその対象を異にし、脱税行為が納税義務に違反するが、未だ反社会性乃至反道徳性を認め得ない程度の場合には加算税という制裁を課し、反社会性乃至反道徳性を認め得るに至つた場合には罰金という制裁を課すべきであると解するのが正当であり、両者を併存的に課すことは憲法の許さないところであるとしなければならないのである。

右判決に対しては、学説にも反対するものか少なく(西山富夫「法人税における加算税(追徴税)と罰金の併科」シユトイエル三号九頁)、特に、前記のように国税通則法の改正に際して加算税の刑罰的性格が立法者によつて明らかにされた上に、国税通則法の加算税は、旧法人税法の追徴税と異なり、「已むを得ない事由」による免責を認めず、一層刑罰性が強くされたのであるから、前記最高裁判例は、現行法の下においては、これを採り得ないものと考える。

(四) 旧法人税法第四八条第五一条と国税通則法第六五条第六八条、との関係

以上述べたところから、法人税法による罰金等の制裁、国税通則法による各種加算税の各制裁は、並存的に課せらるものではなく、択一的にのみ課せらるべきである。

その結果、逋脱犯に対して公訟提起があつた場合において、口頭弁論終結時に、未だ税務署長によつて加算税が賦課されていないときは、裁判所は、その判断で、旧法人税法第四八条五一条の要件の存否を認定でき、その要件が存在するとされる場合には、有罪の判決を下すべきであり、税務署長はその後においては、脱額だけの徴収は格別、加算税はこれを賦課しえなくなるし、その反面、一旦税務署長により、その情状上、あえて刑罰を課することを要しないものとして、加算税が賦課された以上、裁判所は、もはや同一事実に対して刑罰を課すことはできなくなるのである。このようにして解してこそ、憲法上の疑問も解消し、相互にその行為を尊重すべきである三権分立の精神にも副うことができ、何よりも、真に国民の基本的権利を尊重する所以であると考えるのである(ちなみに、改正前の法人税法第四八条第三項は、政府は、脱税犯が起訴された場合は、その判決の確定をまつて、判決の認定した脱税額(加算税をふくまない)に相当する税額の法人税だけを徴収する旨規定していたのであつて、このことは控訴人の主張の正当性を裏づけるものである)。

三、以上の次第で、原審は、被告人両名に対し、無罪判決をすべきか、少なくも刑訴法第三三七条第一項により、免訴の判決をすべきであつたのに、憲法に違反し、またはその解釈を誤り、被告人両名に有罪の判決を下したものであつて、右の違法は明らかに判決に影響を及ぼすものであるので、原判決は、先ずこの点において破棄さるべきである。

第二点、量刑不当について

原審は、被告会社を罰金参百万円、被告人長谷川鈞(以下被告人と略す)を徴役壱年及び罰金参百万円に各処し、右徴役刑の執行を参年間猶予する旨の判決を言い渡したのであるが、右量刑は、本件犯情に照すと、重きに失するものとして、破棄を免れないものと考える。その理由は次のとおりである。

一、本件逋脱の動機、方法について

被告人が、被告会社に対する法人税の一部を免れようと企図するに至つた動機は、免れた利益をもつて、被告会社の経費に充当し、あるいは、いわゆる裏預金として社内留保を計り不況時の到来にそなえるためであつて、決して被告人の個人利得をはかる目的に出でたものではない。

被告会社は、婦人生理用脱脂綿の製造販売を主たる目的とする同族会社であるが、昭和三五年頃迄は、右事業に関しては原綿の仕入れ、製品の販売の両面にわたり厳密な数量指示がなされ、いわば統制経済下にあつたのであつて、事業の経営につき、経営者としてその手腕を発揮する機会がなく、妙味のない反面、他の同種企業との競争も、はげしいとは言えず風波のない、おだやかな企業経営であつた。ところが、昭和三六年頃より、右の統制が漸次、緩和されるに至り、企業もその努力如何によつては、従来以上の利益を計上することが可能となつた。反面、企業間の競争ははげしくなり、一旦不況時の到来ともなれば、中小企業は、その存続が直ちに危くなるようになつたのである。従つて、被告会社、そしてその代表取締役たる被告人には、従前には見られなかつた。このような企業維持のための方策の案出が要請されるに至つた。このようなとき、たまたま同種企業の関係者から、申告利益の操作により、法人税法の一部をまぬがれうるという示唆を受けたので、安易に本件逋脱に及ぶに至つたのである(以上は、被告人の検察官に対する供述調書、同人の昭和四〇年七月七日付大蔵事務官に対する質問てん末書(以下、これを四〇・七・七質問てん末書と略す)、同人の公判廷における供述により、明らかに認められる)。

以上を見るに、会社維持のためには、他にとるべき方法が必ずしもなかつたわけではないにもかかわらず、安易に脱税という方法をとるに至つたことは、まことに残念なことではあるが、被告人の立場、会社の状況よりすれば、その動機に斟酌すべき点が少なくないのである。

次に、脱税の方法は、計画性がなく、かつ、極めて単純であつて、特に悪質ということはない。

本件脱税の方法は、まず、期末在庫品の過少計上に始まるが、その方法としても、単に現実の在庫品の評価額を、申告利益を売上の三乃至四%に操作するために、機械的に過少計上するだけであつて、在庫品は、被告会社の現実の保管の下に置かれているのであり、その保管の型態等については、何ら工作をしていない(被告人の四〇・七・一二日質問てん末書)。そして、右のように在庫品を過少計上すると、原料の仕入が無くて、売上げばかりの月が生ずることとなり、計算上不自然な状態となるので、それを調整するために、いわゆる架空仕入を行なわざるを得なくなつたのである(被告人の検察官に対する供述調書)

右の架空仕入の方法は、その主たるものは、岡田織布工場、木村織布株式会社、橋本商店、安藤商店などという、架空の会社より原綿を仕入れたことにしていたものであり、実在する会社と共謀して行なわれたものとしては、本件事業年度においては、わずかに大興綿花株式会社に対するものだけである(被告人の四〇・七・六質問てん末書、同人の検察官に対する供述調書)。

このような脱税の方法は、今日の税務当局の調査機能からすれば、容易に露見されるに至るところのものであつて、その方法に悪質さは見当らず、計画的でもない。

二、犯則所得の使途について

本件犯則所得は、被告会社の必要経費に充当された他、残金もいわゆる裏預金として社内留保が計られており、被告人の個人利得としたことは全くない。

犯則所得の使途は、会社の支出科目が雑多であるのに応じて種々に分れ、一々あげることは困難であるが、その多くは、建物の修繕費、不動産の売買代金、交際費、当直手当、倉庫料等に支出されている(被告人の四〇・七・六、同月八、九、一〇、一五、二一、二三各質問てん末書)、以上は、当局の修正損益計算において、すべて被告会社の経費と認定されているのである。

弁護人の経験からすると、この種犯則所得は、経営者個人の費用、即ち生活費、遊興費などに充てられ、当局の修正損益計算では、会社の損金と認定されず、経営者への賞与と認定され、その経営者に対しては所得税が課せられるに至るというのが通常の例である。本件はこの通例とは異なり、極めて特異な事例である。このことは第二点冒頭に述べた本件の動機と相まつて、その量刑上、特に考慮されるべきである。

三、犯罪後の情状

被告会社は、本件起訴の日の前後において、脱税額及びこれに対する各種加算税等の租税を、すべて完納している(弁第四号証の一、二、同第五、六号証、昭和三七年度については三年以上経過したものについての納税証明書が発行されないので、右証明書を提出しえないが、いずれも完納済みである)。即ち、政府の徴税権が、既に完全に回復しているばかりでなく、制裁権能も完全に行使されているのである。

右は、被害弁償以上に量刑上考慮すべき事情であり、名古屋高等裁判所の次の判決名高裁昭和二六(う)一七三乃至一七七号事件、同年六月一四日刑事第二部(甲)判決、高裁判例集四巻七号七〇四頁)では、このことが重視すべき情状である旨、明白に指摘されている。

すなわち原告に於ける弁第一乃至四号証によれば、被告会社は本件起訴前に所轄税務署に対し、右逋脱税額及び之に対する加算税、追徴税をも納付していることは、之を認めるに充分であるから、国家の徴税権は既に完全に回復したと謂うことができる。斯る場合に於ける司法権の発動は、社会一般に対する警告(一般予防)と、違反者に対し再び同種の犯行をなさしめない程度の教育的措置(特別予防)を以て、必要充分というべく、漫りに違反者を厳罰すべきものではない(中略)。原審は、前記の理由により、被告会社に対しては、寧ろ重きに失すると思われる」とされるのである。

右判決は、脱税額四七七万六、〇四〇円、及び五二九万〇二三六円の法人税法違反について、前者につき罰金二〇〇万円、後者につき罰金三〇〇万円に各処した原判決を破棄し、各々罰金三〇万円、同五〇万円の刑を言渡して居るのである。

右判決と、本件の事案の間には、特に相異点の存する情状は全く認められないばかりでなく。かえつて、本件では、以上に述べたごとく、被告人両名につき、他の同種事案とは相異する有利な情状が存するのであるから、原判決の量刑は公平を失し、酷にすぎるものであることは明らかである。

四、以上の次第で、原判決は、刑の量定が重きに失するものとして不当であり、破棄されるべきである。

以上

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